ゲーマーがピュリツァー賞記者を否定する
コメントする12/21/2013 by kaztaira
オンラインゲーム「ワールド・オブ・ウォークラフト」などでならした無職のゲーマーが、外交専門誌「フォーリン・ポリシー」に記事を書き、数々のスクープをものにしてきたピュリツアー賞ジャーナリスト、シーモア・ハーシュさんの調査報道を否定する。しかもシリアの化学兵器問題で――。
「オープンジャーナリズム」界隈が、かなり面白いことになっているようだ。
●シーモア・ハーシュさんの調査報道
シーモア・ハーシュさんと言えば、まず思い浮かぶのはベトナム戦争中の「ソンミ村虐殺事件」の暴露。ハーシュさんはこの報道でピュリツァー賞を受賞している。
最近では2004年に発覚したイラク人収監者に対する米兵による虐待「アブグレイブ刑務所虐待事件」報道でも名をはせた。
調査報道史に名を残すジャーナリストだ。そのハーシュさんが取り上げたのが、シリアの化学兵器疑惑だ。
8月21日にダマスカス近郊東グータ地区にで、サリンを積んだロケット弾による攻撃があり、1400人以上が殺害されている。オバマ政権は、これがアサド政権によるものと結論づけた報告書を、同月30日に公表している。
だが反体制派にもサリン製造能力があり、オバマ政権もそれを知っていた。攻撃は反体制派による可能性がある――ハーシュさんは、そう指摘する記事をまとめたのだ。
Whose sarin? (Seymour M. Hersh)
●掲載を見送ったワシントン・ポスト、ニューヨーカー
この記事は、ハーシュさんが連絡をとったワシントン・ポストやニューヨーカーといった米メディアでは掲載が見送られ、最終的にロンドンの書評誌「ロンドン・レビュー・オブ・ブックス」に掲載された、といういわつくつきのものだ。
New Yorker, Washington Post Passed On Seymour Hersh Syria Report (Huffington Post)
ハーシュさんの記事は、12月8日に公開された。
その翌日付けで、こんなタイトルの記事が「フォーリン・ポリシー」で公開された。「シーモア・ハーシュによる化学兵器の誤射――伝説的記者がシリアのサリン攻撃で間違えたこと」
エリオット・ヒギンズというその筆者は、国際政治、シリア、軍事のいずれの専門家でもなく、ジャーナリストでもない。「ブラウン・モーゼス」という名前でブログを運営する34歳の英国のブロガーで、無職のゲーマーだ。
彼の情報源はユーチューブ、それにフェイスブック、ツイッターといった「オープンソースの情報」だという。
ヒギンズさんは、フォーリン・ポリシーの記事で、攻撃現場や政権側による動画など7本のユーチューブの動画と、専門家による読み解きも交えて、東グータへのサリン攻撃が反体制派によるものではありえない、と断じている。
記事は、こう締めくくっている。
「ハーシュは8月21日についての米政府による筋書きの組み立てに、もっともな疑問を投げかけるが、この問題に関しての重要な情報はオープンソースから集めることができる――それこそが彼の取材に欠けていた情報だ。将来的には、オープンソースの情報は、取材に入ることのできない紛争地域を理解するために、さらに重要度が増していくかもしれない。そして、それを効果的に使うノウハウを習得することは、あらゆる調査報道ジャーナリストにとって、カギとなるスキルになるはずだ」
●数百本のユーチューブをチェックする
ピュリツアー賞記者をユーチューブの動画を根拠に攻撃する、このヒギンズさんとは何者なのか。
ハフィントン・ポスト、ニューヨーカー、ギガオムといったメディアが、こぞってその人となりを取り上げている。
Inside The One-Man Intelligence Unit That Exposed The Secrets And Atrocities Of Syria’s War (Huffington Post)
ROCKET MAN–How an unemployed blogger confirmed that Syria had used chemical weapons. (New Yorker)
イングランドのレスターに住むヒギンズさんは、2歳になる娘の育児のかたわら、自宅居間でエイスースのノートパソコンを使い、1日600以上のユーチューブのチャンネルをチェックする。
アラビア語もできないし、トランジット以外では中東に足を踏み入れたこともない。
だが、シリアの内戦で使われている武器の情報に関するブログを立ち上げて1年半。ニューヨーク・タイムズの専門記者も、情報源として記事に引用する。
ハフィントン・ポストの記事によれば、東グータへのサリン攻撃に関する国連調査団の中核となった国際組織「化学兵器禁止機関(OPCW)」が、今年のノーベル平和賞を受賞したことについて、「国連(OPCWのこと)よりも、エリオットの方がシリアへの貢献は大きいと思う」と話す兵器の専門家さえいるという。
●ソーシャルメディア情報の信頼性
ソーシャルメディアには現場の当事者しか発信できない事実もある。現場の当事者を名乗って発信されるデマもある。発信量が膨大なら、仕分け作業にも膨大な時間が要求される。
ヒギンズさんには、その時間があった。
学生時代からオンラインゲームに熱中し、「ワールド・オブ・ワークラフト」では40人を率いるリーダー役としてプレーしたという。連続36時間プレーの経験もあるようだ。
加えて、オンラインフォーラムへのコメントにも夢中になる。
その中で「アラブの春」で大きな変革を迎えた中東に興味を持ち、ガーディアンの記事に「ブラウン・モーゼス」の名前でコメントを精力的に書き込んでいく。時に論争になり、議論の応酬をするうち、ネット上でオープンに閲覧できる動画や写真が、現場の詳細を物語る強力な証拠になることに気づく。
そのデータ収集拠点として、昨春に「ブラウン・モーゼス」ブログを立ち上げ、中東情勢に絡む動画、とくに兵器関係の情報を投稿し続けた。
大学を中退した後、銀行のデータ入力係や女性下着の注文チェック係などの仕事を経て、2月から無職の身だ。
だから、徹底的に動画をチェックし、信頼できる情報とそうでないものを見分ける時間がある。600ものユーチューブチャンネルを、毎日ひたすらチェックするだけの時間は、どんな専門家にもない。
そこがヒギンズさんの専門性だ。
情報の精度は評判を呼び、専門家筋の読者がつくようになる。
そして、8月21日。東グータへの攻撃のニュースと膨大な死亡者数から、この件に関するビデオを徹底的に調べたのだという。
●クラウドファンディングで活動資金を集める
アサド政権側も反体制派も、情報戦のツールとして、ソーシャルメディアを駆使しているようだ。それだけに、ヒギンズさんのような目利きの存在は貴重だ。
それでは生活ができない。
そこで、クラウドファンディングサイト「インディゴーゴー」などで資金提供を募り、1万7000ドルを集めたという。ヒューマン・ライツ・ウォッチなどからの発注の仕事も請け負っているようだ。
ヒギンズさんは、このようなオープンソースの調査報道のプラットフォームになる新しいサイトを、年明けに立ち上げる予定だという。
その新サイトでは、他のライターとともに、オープンソースの調査報道の手法などを解説したり、そのような情報のハブとしての機能を果たす構想のようだ。
●オープンジャーナリズムの広がり
オープンジャーナリズムの動きはこれだけではない。
ソーシャルコンテンツのニュース通信社として、コンテンツの事実チェックや権利処理、配信を手がけるアイルランドのベンチャー「ストーリーフル」は、オープンジャーナリズムを後押しするサイト「オープンニュースルーム」をグーグルプラス上に開設。調査報道における事実関係のチェック作業のクラウドソース化に取り組んでいる。
ヒギンズさんも、このサイトの活発な参加者として活動しているようだ。
Brown Moses to launch site for open investigative journalism (Journalism.co.uk)
A look at Storyful’s Open Newsroom verification project (Journalism.co.uk)
●ニューズコーポレーションが動き出す
ニューズコーポレーションは20日、このストーリーフルを買収した、と発表した。
大手メディアビジネスが、オープンジャーナリズムに乗り出した、ということだ。
News Corp Acquires Social News Agency Storyful
ストーリーフル自体はニューヨーク・タイムズやBBCなどにもニュース配信を行っている。このため、事業体として独立したままでニューズコーポレーションの傘下に入り、各社への配信業務は継続するという。
メディアの潮流は、目まぐるしく変わる。というか、目まぐるしすぎる。
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