ネットと災害の歴史をたどると

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01/31/2010 by kaztaira

「ここではっきりと分ることはツイッターは、昔の早馬、半鐘、狼煙や伝書ハトや手旗信号とは違い、今、ネットが要求する必要かつ十分な人工的インフラ、約束事、契約条件を備えることが求められていることだ。ハイチの現場から発信されているツイッターはどれ位だろうか興味がある」。「ミーシャ」さんから昨日の「新幹線の停電とツイッター」について、そんなコメントをいただいた。

 統計的なデータは見当たらないですが、「ハイチからのツイッター」でも紹介した、ロサンゼルス・タイムズがまとめたハイチ発(と思われる)ツイッターのリストは、ひとつの手がかりになるかもしれません。
 確かに、通信設備が災害などで壊滅していれば、インターネットは手も足も出ない。それでも、冷戦下の核攻撃も想定される中で開発された通信網、そうもろいものでもなさそうです。
 日本で、それが認識されたひとつのきっかけは1995年の阪神大震災。
 インプレスが、雑誌「インターネットマガジン」1995年4月号の記事を、ネットで再録している。「大規模災害とインターネット―阪神大震災にインターネットはどう対応したのか
 当時は、まだ、インターネット接続機能が搭載されたマイクロソフトの「ウインドウズ95」の発売前で、一般的にはウェブ黎明期。記事の中にもあるように、むしろ、より広く使われていたパソコン通信などの方が、威力を発揮していたようだ。
 それでも、情報発信・共有の仕組みとして、インターネットはすでにこの時から動き始めていた。
 ブログが、情報共有の手段として広く知られるようになったのは、2001年。米同時多発テロの時だった。ワイアードのこの記事が参考になる。「9・11:ブログの誕生
 報道機関だけでなく、ブログなどを舞台に、一般の利用者が現場の様子や感想を速報し、共有するということがネット上で行われた。
 さらに、2004年のスマトラ沖大地震とインド洋津波:「インド洋津波:被災者救援でブログが大活躍」(CNET)。2005年のハリケーン「カトリーナ」による被害:「ブロガーは見た–ハリケーンに襲われたニューオーリンズの惨状」(CNET)
 基盤としてのネットは、それなりに実績を重ねてきているとは言えそうです。
 「iPadは高齢者向きの端末か」にも、様々なコメントをいただきました。
 「いとさん」さんからは、「誰でも必要な機能は社会インフラストラクチャとして安価にすべし」。「うなや黒兵衛」さんからは、「情報端末の競争は際限があるのか?」とのご意見。
 私は、おっちょこちょいな性格に加えて、こういう仕事柄でもあり、「次は」「その次は」と物事を見がちです。
 でも、消費者としての「道具」との付き合い方は、目的にあわせて、手になじむ一番使い易いものを使うというのが、まっとうな姿勢です。使わない機能にまで、お金を払うことはないです。お二人のご意見、まことにもっともなことだと思います。
 ゲーム機でも、なんでも、練れてくると、だれでも使い易い製品がいずれ出てくるでしょう。せっかちである必要はありません。

 「公寸」さんからは「貴新聞社は配信しますか」とのお問い合わせをいただきました。アップルの発表では、アイパッドは、普通のネットは使えるので、「アサヒ・コム」や「アスパラクラブ」をそのまま閲覧することはできるはずです。ただ、「朝・夕刊」をアイパッド向けに配信するのかどうかという点は、私のような何の権限もない一介の記者には(名前のとおりのヒラ記者です)お答えのしようもなく、申し訳ないのですがまったくわかりません。

 ただ、そのような読者のご要望があることは、いただいたコメントで、社内の関係者も認識したと思います。
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