1984年のツイッター

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04/19/2010 by kaztaira

小説について、素人があれこれご託を並べるのが面白いのは、どんな読み方をしても、原則的にそれは読者の自由、という部分があるからだ。特にこの著者の場合は、無性にご託を並べたくなる。大ファールでも大空振りでも、読者本人がそれで楽しいなら、まあお許しいただいて。

 で週末、「1Q84」BOOK3を読んでいて、思い浮かんだ暗喩が、ツイッターだった。
 もちろん、1984年にツイッターはないし、1Q84年にも、ツイッターのツの字も出てこない。1984年といえば、日本のインターネットの源流「JUNET」ができた年で、アップルのマッキントッシュが姿を見せた年。デジタル社会も、まだとば口のところだ。
 ほかの方の読書体験の邪魔はしたくないので、具体的な中身の話はしない。
 ただ、登場人物たちが、リアルタイムには微妙にすれ違いながらも、時間がずれていきながら、徐々につながっていく感じが、なんとなく、ツイッターのタイムラインの感じに似ているなあ、と思ったのだ。
 ツイッターでも、フォロー(閲読)するすべての投稿を表示する「メイン」のタイムラインでは、絶えず新しい投稿が「流れていく」が、いくつかの「リスト」や「保存検索」を並べて表示していると、そこでのラインは、ややゆったりと時差をもって流れる。メインでは気づかず、流れ去っていたものでも、第三者のリツイートで、「リスト」の方にひょっこり現れることがある。
 また、ツイッターでは、宛先のはっきりしたコミュニケーションもあれば、モノローグのつもりが、意外な反響を返されることもある。ある場合には、一方的なまなざし、ある場合には、予想外な双方向のまなざし。
 そんな雰囲気が、小説の中にもあるように、感じられたのだ。

 まあ、こじつけなんですけど。コミュニケーションそのものが持つ特徴、とも言えそうだし。

 

 このところ、ツイッター関連の記事を書くことが多い。「ツイッター脳」で読んだことによる「空目」だろう、とでも読み飛ばしていただければ。
 ◇    ◇
 「空目」の原因の一つ、「メディア激変」を夕刊(夕刊のない地域では翌朝刊)で連載中です。アサヒ・コムでもご覧いただけます。ツイッター(@asahi_media)でも、発信しています。
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