もうすぐ絶滅するという紙の書物について、という本

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10/23/2012 by kaztaira

2年も前に買っておいて、読もう読もうと思いながら読めていなかった本を、ようやく読んだ。

もうすぐ絶滅するという紙の書物について』。ショーン・コネリー主演で映画にもなった『薔薇の名前』の作者で、学生時代に『記号論』を読んで半分もわからなかったウンベルト・エーコ。それにルイス・ブニュエル『欲望のあいまいな対象』や大島渚の『マックス、モン・アムール』、フィリップ・カウフマンの『存在の耐えられない軽さ』など、私でもみたことのある映画の脚本家のジャン=クロード・カリエールの対談だ。

まさに邦題が示すとおり、さらに帯でも「紙の本は、電子書籍に駆逐されてしまうのか?」とあおるぐらいだから、対談の背景として設定されているのはデジタル、ネットのメディア環境の変化だ。

なのだが、そんなデジタル、ネットをめぐるテーマは遠景へと追いやられ、突っ込んだ議論らしい議論はほとんどない。

ただただ、稀覯本を核とする紙の書物への愛情が450ページにわたって語られるのだ。だが、それだけではない。徹底的に紙の書物への愛情を語るその議論が、いつのまにかメディア論の核心を語っていたりと、迷宮のような構成になっている。

”新しい技術が出てくるたびに、新しい「言語」を習得するための長い長い入門期間が必要になり、その入門期間は、私たちの頭がその新技術に先行する諸々の言語を使い慣れていればいるほど、長くなるのです”(カリエール)

”ことによると我々は、更新されつづけるこの知識とういものに関しては、機械に任せておいて、認識のほうに集中することができるのかもしれません”(カリエール)

さらに「焚書」を語る中で、ネットワークの遮断や情報のブロッキングというような、今日的テーマも自然と浮かび上がる。

”焚書を行なう者は、焼いたからといってその本を一冊残らず消し去れるわけではないということを重々承知しています。それでは何がしたいのかというと、これは世界を、そして一つの世界観をまるごと焼き尽くすことのできる造物神のような力を誇示する一つの方法なんです”(エーコ)

そして、情報の実体とメディアとのかかわりを巡る本書の議論の幅広さは、この一言に端的に表れている。

”もともと存在しない本や存在しなくなった書物については話をしました。読まれていない本、読まれるべき本やよまれるべきでない本のことも話しました。こんどは、存在しないのによく知られている著者について話したいと思います”(エーコ)

そして、この書物愛。

”棚に並べてある本の匂いを嗅いだだけで、幸せな気持ちになる。それが自分の本ではないとしてもです。(中略)本を眺めることでそこから知識を引き出すんです”(エーコ)

最後に、私のような本の読み方を擁護してくれる一節もあったので、ご紹介。

”とにかく、あの忌まわしい「新刊強迫症」に対抗することはできますね。新刊だから読まなきゃならないという例のあれです。「話題の」本をとっておいて、三年後に読んだっていいじゃありませんか。映画だとは私よくそうしてますよ”(カリエール)

装幀も手が込んでいて、カバーがリバーシブル。裏側はフランス語でデザインされたカバーになっていて、どちらもすごくシック。本棚に置くための本、という感じだ。

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