「脱工業化ジャーナリズム」の提言

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12/10/2012 by kaztaira

少し前から話題になっていたこのレポート「Post Industrial Journalism: Adapting to the Present」、アイパッドのキンドルに入れて、通勤電車の行き帰りでようやく読み終えた。

Exif_JPEG_PICTURE ダニエル・ベルの『脱工業化社会の到来』に習うなら、「脱工業化ジャーナリズム―現在への適応」というタイトルになる。

11月27日に公表されていて、まとめたのはコロンビア大学ジャーナリズムスクールのデジタル・ジャーナリズム・センター(トウ・センター)。筆者は同センターの所長で、英ガーディアンでオンライン版の立ち上げやデジタル戦略を手がけたエミリー・ベルさん、著書『みんな集まれ! ネットワークが世界を動かす』、『Cognitive Surplus: Creativity and Generosity in a Connected Age(余った知力)』で知られるニューヨーク大学のクレイ・シャーキーさん、ニューヨーク市立大学助教でコロンビア大学ジャーナリズムスクールの研究員でもあるC・W・アンダーソンさんの3人だ。

(※情報開示をしておくと、シャーキーさんは、拙訳で出したダン・ギルモア著『あなたがメディア! ソーシャル新時代の情報術』に紹介文を寄せてくれている)

タイトルが示す「脱工業化」とは、ジャーナリズムが工業生産のように製造・流通課程、収益構造が確立されていた時代は終わった、という認識から議論をスタートする、という程度の意味だ。

(特に米国での)広告収入への依存、ニュース発信への参入障壁、読者への影響力、情報の収集・解析力。「工業生産」としてのジャーナリズムを成立させていたいくつもの基盤が、デジタルの「地殻変動」によって、後戻りのない「現在」を迎えている。では、その「現在」に適応するには――その具体的な提言が、PDF版で122ページのボリュームに納められている。

その議論のスタンスは、序章のこの一文で端的に語られる。

「この10年間、ジャーナリズムの未来の展望として語られてきた変革の多くは、すでに現実のものになった; 想像していたジャナーリズムの未来は、私たちのいる今現在、その大半が目の前にある(SF作家ウィリアム・ギブスンがかつて語ったように、「未来はすでにここにある。ただまんべんなく行き渡っていないだけだ」)。私たちが目指したのは、未来予測にふけるのではなく、これまでに起きたこと、今起きていること、さらにそこから学べることは何かをまとめるということだ」

そして、議論の柱として、五つのポイントをあげる。
・それでもジャーナリズムは必要
・良質なジャーナリズムは常に収入の裏付けを得てきた
・インターネットは広告収入を破壊する
・再構築(リストラ)は不可避

こう書くと身も蓋もないが、さらに身も蓋もないあからさまな議論は続く。「支出は収入の範囲内で」「少ないリソースでより多くの成果を」

ただ、その「現在」を前提として、ジャーナリズムを持続可能にしていくために何ができるか――その具体的議論を、「ジャーナリスト」「組織」「生態系(エコシステム)」という三つのレイヤーで、多くの実例をもとに展開するという構成が、このレポートに説得力を持たせている。

ウォルター・リップマンからロボット・ジャーナリズムまで、網羅する視座もダイナミックだ。

さらに実践的提言。例えば、個々のジャーナリストが持つべきスキル(技能)を、ソフトスキルとハードスキルに分類。ソフトスキルとは、ジャーナリズムを改善していくんだというマインドセット、様々なコミュニティのネットワークにつながることによる効果的ジャーナリズム、そしてペルソナ、すなわちジャーナリストとしての人柄や存在感。そしてハードスキルとは、専門知識、データや統計に関するリテラシー、ウェブトラフィックの測定と読者像の把握、コーディング(開発スキル)、ストーリーテリング(取材、執筆、編集、映像のスキル)、プロジェクト管理。

レポートは、ジャーナリズムをめぐる環境変化を次のようにまとめる。

・締め切りと記事の定型の制限はなくなる
・ジャーナリズムの取材、執筆、閲覧において、地理的制限の意味は薄れていく
・データやソーシャルメディアの活動がライブで流れることで、新鮮でフィルターのかかっていない情報が得られるようになる
・リアルタイムのフィードバックが記事に影響を与える
・組織のブランドよりもジャーリスト個人がより重要になる

ハムスターの回し車を走り続ける仕事と、地に足をつけた調査報道。そのいずれもがジャーナリストの業務内容になる、というこれもまたあからさまな「現在」も指摘する。

ジャーナリズムの組織論では、レバレッジが効く、象徴資本(文化資本)として、ジャーナリズムの継続性、対応の柔軟性、などの観点からその意義を位置づける。効率性の面からも”すべて自前主義”から脱却してパートナーを組め、古い仕組みの上にインターネットを取り込むな、それに応じた新しい仕組みを。資金調達、業務見直し、コンテンツのインパクトの測定など、提言の数々は、”ベンチャーとしてのジャーナリズム”に再構築していく道筋を示す。

そして生態系(エコシステム)。上流から下流(読者)へのパイプライン型のジャーナリズムから、誰もが目撃者になりニュースに参加するまさにネットのエコシステムとしてのジャーナリズムへ。

ワイアードのエディター、スィーブン・レヴィさんのこんな言葉が引用される。

「10%いいものをつくったなら、それは改良だ。だが10倍いいものをつくったら、それは新たな創造だ」

レポートは、脱工業化のメディアのエコシステムの中で、ビジネスとしてのジャーナリズムを、製品の製造業ではなく、流れるニュースの「輸出入業者」と位置づける。パッケージではなく、フローとしてのジャーナリズム、との見立てにもとづく議論だ。

ここでの提言も、組織論と同一線上にあるパートナーシップ。古い組織が「現在」に適応するには、足りないスキルをパートナーで補う分業は、当然の選択肢だろう。

さらにデータジャーナリズムの潮流を踏まえ、政府や企業に生データの開示を迫るオープンデータの取り組みにも言及している。

結論の章に、示唆に富むエピソードが紹介されている。ワシントン・ポストの編集主幹だったロバート・カイザーさんが1992年に、CEOだったドン・グラハムさんや役員に宛てたというメモだ。

今から20年前、まだウェブすら広く知られていない時代だが、このメモの中でカイザーさんは、デジタルがもたらすメディア環境の変化を指摘。その変化を無視することの危険を説き、それらに対応するための二つの研究開発プロジェクトを提言したという。一つは「電子クラシファイド(三行)広告の設計を直ちに行う」、もう一つは「世界最初の電子新聞の設計を行う」。

新聞のクラシファイド広告は、その後、実際にクレイグズリストなどのウェブサービスが台頭する中で衰退していった、という歴史を振り返れば、その時ちゃんと対応していれば・・・というエピソードではある。

だがレポートは、そうは言わない。当時、このメモの提言に実際に取り組んだとしても、うまくいかなかっただろう、と言うのだ。

その理由は、メモが環境変化をコントロールできるという前提で書かれているという点だ。洞察は正しいが、二つの提言はあくまでその他のプロジェクトの中の一つと位置づけられており、しかも状況の推移次第で、実装は留保する、とされていた。

「未来の実装を留保する権利など、だれも手にすることはできない。このメモの大きな、そして隠れた見込み違いは、ワシントン・ポストやその他の組織が、来るべき変革を”オプトアウト(いやならやめる)”できると考えていることだ」

「現在」に向き合い、適応する。そのためのいい手がかりになるレポートだ。

追記宣伝:月刊「Journalism」12月号特集「ジャーナリズムを教育する」に、「デジタル時代に新たに求められる 起業家精神を教えるジャーナリズム教育」という東京工芸大学専任講師の茂木崇さんの記事が掲載されている。テーマは起業家ジャーナリズム教育で、私が以前にブログで書いた「『起業家ジャーナリズム』とは」から引用もしていただいている。

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