ソーシャル時代のジャーナリズムは〝感情〟がカギになる

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09/12/2015 by kaztaira

ニュースを流通させるのは、新聞の販売網やテレビ送信機よりも、ソーシャルメディアになりつつある。そこでニュースの原動力となるのは、客観性の装いなどではなく〝エモーション(感情)〟だ――。

ロンドン・スクール・オブ・エコノミクス(LSE)教授でシンクタンク「POLIS」所長、チャーリー・ベケットさんが、ジャーナリズムの現状について、そんな読み解きをしている。

共感や親密さを含む〝感情〟のやりとりがベースとなるソーシャルメディアの時代に、ジャーナリズムのあり方も、根本からの見直しが迫られているとの指摘だ。

もやもやしたメディアが現状が、すっきり像を結ぶ感じの面白い議論だ。

●ネットワーク・ジャーナリズム

ベケットさんは、英BBC、チャンネル4のジャーナリスト出身。デジタルジャーナリズム論の論客として知られる。

その論点の一つが、2008年の著書『スーパーメディア』などで提唱した〝ネットワーク・ジャーナリズム〟という考え方だ。

SuperMedia

ネットワーク・ジャーナリズムはプロダクト(製品)ではなくプロセス(過程)だ。ジャーナリストは引き続き報道し、編集し、ニュースをパッケージにする。だが、そのプロセスは切れ目なく(ネットユーザーと)共有されていく。ネットワーク・ジャーナリストの役割は、ニュースを届けるゲートキーバー(門番)から、ネットでつながる人々の取りまとめ役へと変わっている。

ジャーナリズムは今や、ソーシャルな情報流通のプロセスの一つとして組み込まれていて、ネットユーザーを含むすべての人々がその参加者だ――そんな〝ネットワーク・ジャーナリズム〟の議論を、ベケットさんはさらに先へと進める。

●〝エモーション〟の新たな役割

ベケットさんは10日付で「ジャーナリズムはいかにしてエモーショナルになるか、そのニュースにとっての意味は」と題した論考を、POLISのブログメディアムに公開した。

emotion

ベケットさんは、ここで〝エモーション〟という言葉を、通常の意味よりも広げ、共感を共有につなげる、ソーシャルメディア時代のニュースの伝播力の源泉となる〝ツール〟として捉えている。

モバイルは、ユーザーが24時間手元に置く最も身近で主要なメディアとなり、かつてないほどユーザーの生活サイクルの中に入り込むようになった。

つまり、ジャーナリズムは人々のデジタルモバイル生活の中で、子猫やショッピング、スポーツ、音楽、ポルノなどと混ぜ合わされる世界の中で機能しなくてはならない、ということだ。

では人々はなぜ、ソーシャルメディア上でコンテンツを共有するのか?

ベケットさんは、「ヴォックス」のエンゲージメントエディター、アリソン・ロッキーさんのこんな言葉を引く。

それによって、自分自身のことを他人に向かって定義してみせるため:エモーショナルな行動だ。

そして、こう述べる。

ニュースがソーシャルメディアの一部になりつつある以上、この(共有の)プロセスの一部でもあるのだ。

●〝エモーショナル〟な報道

ジャーナリズムにおける編集作業とは、ニュースの対象となる出来事を、ファクト(事実)に基づいて客観的に捉え、ニュースの形式にまとめ上げることだ。

コラムやオピニオン記事でもない限り、通常そこに〝エモーション(感情)〟の入る余地はない。

しかし、ネットワーク化したニュースでは、出来事はしばしばソーシャルメディア上で報じられ、議論されていく―ジャーナリズムそれ自身も、コメントと共有の対象となる―現在進行形のジャーナリズムのプロセスを、人々とライブで共有していくのだ。エモーションがこのプロセスの中で、ニュースのつくり手、消費者、あるいは共有者いずれにとっても重要な要素になっていけば、(ジャーナリズムの)プロの文化にインパクトを与えるのではないか。私はそう思っている。そこに興味深いフィードバックループが生まれ、未来のニュースづくりのあり方にもかかわってくるのではないか、と。

その先行事例としてベケットさんが挙げるのが、このブログでも以前紹介した「チャンネル4」の看板ニュースキャスター、ジョン・スノーさんによるガザ報道だ。

スノーさんは昨年7月、ガザの病院を取材し、傷ついた子どもたちの姿が「心に刻み込まれた」と率直な心情を吐露し、「このままにしておいてはダメだ。力を合わせて、状況を変えることはできる」と訴えかける動画を公開。ユーチューブで80万回以上も再生される反響を呼んだ。だが、「放送の中立性」に抵触する可能性から、テレビでは放映されずにいる。

かつての同僚でもあるスノーさんの動画について、ベケットさんはこう述べる。

これは興味深い事例だ。彼は政治的見解を述べているのだが、エモーショナルな表現を使っている―共感を何らかの行動につなげようとする訴えだ―その行動の中には、(動画を見た)人々が自らメディアを使って意見表明をすることも含まれる。

●揺らぐ客観性

ここで改めて問題となるのが、客観性の扱いだ。

〝エモーション〟という要素は、プロパガンダ(宣伝)やクリックベイト(クリック誘導)とも隣り合わせだ。

ただベケットさんは、いくつかのポイントを挙げ、〝新たな客観性〟を提言する。

まず、従来のジャーナリズムにおける客観性について、ニュースの題材選び、編集作業のそれぞれにも、すでに主観は反映されているとし、賛成反対の両論を併記することが正確な報道であるとも言えない、と指摘する。

また一方で、エモーションに訴えかけ、恐怖や興奮を煽るイエロー・ジャーナリズムや、刺激的場面を重視する放送ジャーナリズムは従来からあったとも述べる。

さらには、エモーション主導のソーシャルメディアの広がりそれ自体も、同種の意見のみにタコツボ化していく〝フィルターバブル〟の危険性をはらむという。

メディアの側も、ロシアの実質的な国営テレビである「RT」から中国国営放送の「CCTV(中国中央電視台)」、米保守派テレビ局のフォックス・ニュースから英左派系のガーディアンまで、色濃い党派性を見せている、とも指摘している。

だが、バイラルメディアの「ヴァイス」や「バズフィード」は、カジュアルな語り口でエモーシナルに訴えかけるが、紛争などの現場の映像を直接、ユーザーに届けることで、情報の信頼性も客観性も損ねていない、とベケットさん。

人々はエモーションと合わせて、ファクトや信頼できる語り口も求めている―これは矛盾ではないのだ。

そして、こう述べる。

私の考える基本原理―市民にとっても、ジャーナリストにとっても―それは、透明性だ。透明性こそが新たな客観性だ。

●〝エモーション〟のデータ

ベケットさんは、この論点をさらに深めるため、エモーションの役割とその影響についてのデータが必要だという。

これまでも何度か紹介してきたが、例えばフェイスブックはユーザーの感情傾向を操作する大規模実験を行ったり、選挙への動員実験を行ったりしていたことが明らかになり、その危険性や、予測不能な影響、 フィルターバブルとの関わりなどについても、議論を呼んできた。

フェイスブックのようなソーシャルメディアが、そのデータを一般に開示して研究に役立てれば、ジャーナリズムにとっても、ユーザーにとっても、(多分フェイスブックにとっても)興味深い結果が出てきそうな気はする。

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※このブログは「ハフィントン・ポスト」にも転載されています。

Twitter:@kaztaira

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